2012年4月9日月曜日

仏教の真髄を掘り出す道具

仏教の「信」は、手を合わせてお願いをする信仰では無く、ブッダの法を理解、納得、実践して確信する。です。

豪華絢爛に装飾された仏教の扉を開け、奥に光り輝くブッダの真髄を取り出す道具(方法)を紹介します。

Kesamuttisutta
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Etha tumhe, kālāmā, mā anussavena, mā paramparāya, mā itikirāya, mā piṭakasampadānena, mā takkahetu, mā nayahetu, mā ākāraparivitakkena, mā diṭṭhinijjhānakkhantiyā, mā bhabbarūpatāya, mā samaṇo no garūti. Yadā tumhe, kālāmā, attanāva jāneyyātha— ‘ime dhammā akusalā, ime dhammā sāvajjā, ime dhammā viññugarahitā, ime dhammā samattā samādinnā ahitāya dukkhāya saṃvattantī’ti, atha tumhe, kālāmā, pajaheyyātha.

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(三蔵の中のダイヤモンド)より
http://space.geocities.jp/tammashart/kouhuku/sanzou.html
リンク切れの場合は、"三蔵の中のダイヤモンド"で検索して下さい。

タンマを信奉する時、自由であって下さい。
その為に、仏教の中のダイヤモンドと、ダイヤモンドを掘り出す道具の両方を差し上げます。
これから、差し上げる物を、仏教の中のダイヤモンドと言います。
つまり、タンマを受け入れ信奉する上での最高の自由です。

「カーラーマ経」には、仏教を信奉する上での自由が述べられています。

それは最高の自由であり、最高に民主的です。
内容は、カーラーマの人々が、「どう受け入れたら良いのか分から無いほど、色んな教義を教える人がいるので、どうしたら良いでしょう」
と質問した事に対し、
ブッダが、カーラーマ経の十項目と呼ばれている物で答えた物です。

2012年4月8日日曜日

三蔵経の中の一粒の精髄


(三蔵の中のダイヤモンド)より

http://space.geocities.jp/tammashart/kouhuku/sanzou.html
リンク切れの場合は、"三蔵の中のダイヤモンド"で検索して下さい。


何も分からず信じている人は、三蔵の中のどのお経も、全て同じ価値があると言います。
外側の麻袋や包装紙や紐類、大小様々な小箱や道具までダイヤモンドだと言います。

これは間違っています。
滅苦のために重要な部分、ダイヤモンドだけを仏教の要旨とするべきです。

しかし仏教の要旨は沢山あります。
聖諦と言い、
アッサジカターと言い、
縁起と言い、
タターター(真如)、
或いは空と言い、

全て仏教の核心と言えます。
しかし、
それは、学習の核心だったり、実践の核心だったり、成果の核心だったりします。

では、学習と実践と成果のすべての面から見た精髄とは何でしょうか。
それは、

Sabbe dhammā nālaṃ abhinivesāyā
サッペー タンマー ナーラン アピニヴェサーヤ
何物も、私、私の物と執着するべきでは無い、と言うブッダの言葉です。
これが三蔵の中のたった一粒のダイヤモンドです。
それが拡大されて色んな形になりました。